下のは、もろもろの都合で、「白砂村3巻」に収録できなかった論説文形式の教義です。
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『エンターテイメントについての教義A』

今井 神



よくバッドエンドの作品を目にする。映画やドラマ、ゲームに漫画。
それでエンターテイメントが成立していると思うのだろうか。
エンターテイメントが成立するのは「笑い」「感動」「切なさ」などによって、観者に「楽しみ・娯楽」を与える時である。バッドエンドを生み出す人間は、
自分が「芸術家」だとでも思っているのだろうか?
「漫画」とはエンターテイメントであって、究極のところ「サービス業」であるべきなのである。
「観者を非日常へ誘い、日常では味わいがたい感想を与える」のが最大にして最低の目的でなければならない。もしそれができないのであれば、漫画なぞ読む必要はなくなってしまう。
漫画など読まずに、観者はそのまま日常生活をしていればいいことになってしまう。
暇つぶしにはなっても意義は存在しない。

「日常生活で味わえない気分を提供する」からこそ、漫画の存在意義はあり、それが作り手が守るべき最低限のマナーなのである。


漫画家は芸術家とはちがう。
高尚な芸術家ぶって、
「意味のないこと」を「意味深」に並べたり

なんとなくかっこいい「イラスト」を書き連ねるべきではない。
途中から始まって途中で終わる
様な、内容のない短編を作り上げるべきでもないのだ。 
自分の身を削る
事によって、お客様である観者にサービスを提供できて初めて、「漫画」と呼べるのである。


 そう言う意味で、「漫画が提供できるエンターテイメントとは何か」を考える。

 そこでぼくは主な6つの必要不可欠な要素をここに提案する。
笑い、興奮、驚嘆、恍惚、性欲 恐怖 だ。
これは、それぞれジャンル的に言うと
ギャグ、迫力、大どんでんがえし、美しい絵・(緻密な絵)、エロティシズム、ホラーに変換できる。


なるべくこれらのすべてが満たされる漫画、もしくはどれか1つを追求した漫画こそ、
真のエンターテイメントとしての「漫画」
と呼べると確信する。中には、「ギャグなんて」「エロなんて」と思う方もいるだろう。実際自分の作品を、あまり漫画を読まない方に見せるのはなんだか恥ずかしかったりする。
しかし、要所要所にこれらの要素をちりばめることによって、読者をある時は惹きつけ、ある時は息抜きさせられるのだと言うことを忘れてはならない。
テキストが多い箇所の後にエロやギャグを持ってくることによって、個人固有の速度で読むしかない漫画という媒体の中で、効果的に進行を円滑化するのである。
・・・まあ女性読者を不快にさせない程度に(笑)。( 今回は相方の坂寄さんにも助言をもらいながら、男性だけでなく女性にも喜んでもらえるようなシーンを微妙に織り込んでいます。ほんとに微妙だけど)
つまり飴と鞭であり、気分転換であり、ショックであり、メリハリである。
これがあってはじめて、どんでん返しや恐怖、その他の結果が得られるのである。
 そう、あるとき打ち合わせで編集者に
「君の漫画のパンチラ、効果的だよね。よくわかってる」
と言われたとき、僕は報われた気がした。(笑)
         ・・・・・いや、こんな話だったっけな?



 読者を飽きさせない為に、サービスを提供しつつ、同時に作者の自己満足を展開する。これこそが双方にとって幸せな
ことである。


作者の自己満足だけではそれこそ究極の「内輪ネタ」になってしまい、理解してくれる読者は少ないだろう。
だが、基礎は作者の自己満足でも、エンターテイメントとしてのサービスがちりばめられていればそれは、
読者も入りやすく、多くの人間に面白いと思ってもらえる「立派な漫画」になるのである。



作家達よ。

外に向けたプライドを捨てなさい。

内に向けたプライドを持ちなさい。

真のプライドとは、
「人にけなされて発動するもの」
ではなく、
「絶対に明日までに仕上げてやる!」
という心意気である!